2013年05月22日

第1回放射線治療

5/20の放射線科での診察の時に
できるだけ当てる範囲は小さくして欲しい
と要望を出しておいたのだが(#4Rに限定)

外科の先生と相談してみるという事で
どういう治療計画なのか不明なまま
本日の1回目の照射となった。

治療詳細を見ると対向2方向という事
になっているので、前後から当てている。

4方向から当てることができる機械
の様なことを言っていたのだが…。

機械の照射用(?)窓は4cm角くらいだったが
肌に書いたマーキングでいうと
9cm角くらいの範囲を照射後帰宅して
30分くらい冷やしてくれとのこと。
日焼けのような症状が出てくるらしい。

日焼けなら焼けてすぐ冷やした方が良い。
予め言っていてくれたら、直後から冷やせる様に
工夫しておいたのに。

病院はそこまで患者がやると思っていないのだろうか。
どうもやっぱり、治療「ルーチン」にはまっていて
あまり細やかな気遣いができるところではないのだろう。
病院ってやつは。

まあもうなるようにしかならぬ。
20回に回数を減らしただけで良しとしよう。
それにしても、本日の治療費15,420円。
なかなかに高い。
20回分ならば約30万となる。
これも高額医療費の補助の対象になるのだろうか?

実際の照射時間は10分くらいの感じ。

本日は、朝8時頃に朝食を取りその後はお茶と水だけ。
これは癌細胞がブドウ糖をエネルギー源にしているので
できるだけブドウ糖を減らして治療にあたろうとの意図。

ただ、いろいろ本などを読むと
抗酸化酵素の働きに期待したいようにも思われ
昨日の時点では昨日の夕食後今朝は絶食のつもりだったが
思い直して、野菜ジュース、豆乳、バナナを取った。

治療に行く前には抗酸化力を支援するという
ビタミンE、Cのリッチな焼き海苔を3枚。

これがいい方向に行くのかどうか
サッパリ保証の限りではないが、
今後共にいろいろと思考、調査を重ねながら対処
していくことになる。
posted by 得鰤日々 at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年12月15日

政治と選挙の見直し

明日は久しぶりの国政選挙だが

これまでのところ、街宣車に遭遇したのは3回。
候補者の顔は見たことがない。
公共放送の政見放送を見る機会があったのは5回。
それぞれの政党の主張は10分にも満たない。

新聞は止めたので?、
選挙の公報も入手していない。
(新聞の折り込み以外で入手の方法はある
 のかもしれないが、知られてないと思う。)

これだけ普及しているインターネット
の利用をいつまでしないままでいるのか
その理由がよく理解できないが

インターネットは利用してない、利用できない人々が居る
というような事が公式の理由ではないか
というような気がする。

どうも、行政というのは、「公平」と言うことを
最後尾のランナーに合わせるという方針で臨んでいる
というように思うのだけれど
先頭のランナーを大事にすることなく
(大事にというのは、優遇という事ではない)
世界の競争に打ち勝っていけるのか、と思う。

世界との競争に打ち勝っていくこと無しに
日本の経済は成り立つのだろうか。
日本の経済が不調に終わったままで、
人々の幸福は、幸福でないまでも生活は
確保できるのだろうか。

期日前投票の傾向を見ると、前回の選挙より低いらしい。
それはどうやら、今回の選挙の投票率が
前回より低い事を予見するデータとなるようだ。

投票に行かない理由はいろいろ有るようで
巷ではその事の議論が盛り上がっている
という事実もあるらしい。

1票で何が変わるのか、実感がわかない
というのも一つの理由らしく、
それはそれで分からなくもないが、
では1票しか認められてない今
その1票をも有効にする努力なしで
果たして何が変わるのかと思う。

事実として何も変わらないかも知れないが
変えてやろうという思いが無ければ変わることは無い
とも思う。

変な例えかもしれないが、宝くじは買わないと当たらない。
選挙も投票しないと世の中は変わらない。

それはともかくも、元に戻って
政党や候補者の論点は子細に比較する形で提供されているか
というととてもそうは思えない。

政治がどうこう言う前に、
そもそも選挙のありかたが随分と国民をないがしろにした
やり方であるようにおもう。

国民側も選挙のありかたをあまり不満に思ってない
というような気がするが、どうんなんだろう。

選挙用の公式インターネットサイトくらい
そろそろ作ったらどうなんだろう。

A4pdfで5枚分くらいは個々の候補者に認めるべきで、
政党ならば10枚分くらいは情報提供して欲しい。

また、既に表明したことだけど、
候補者の選択にあわせて、政局のポイント論点への
国民投票も採用してもらいたいものだ。
直接の意見表明ができるならば
投票率の改善にも役立つのではないだろうか。

それぞれの政党は、自分の主張こそが正しくて
他の政党が言うことは全部おかしいような事を言うが
そんなはずもなかろう。

やって欲しいことは、国民の意向をきちんと調べて
政党間でそれをどう実現するかのアイデア競争だ。

そのためには
これだけWebが普及しているのだから
我々一人一人がもっともっとそれぞれのサイトで
意見を述べて
政治家、当局にもっともっと直接の意見を伝える
努力をするべきであるようにも思う。

とにもかくにも、
明日の結果がよりよい日本の実現に
少しでも役に立って欲しいものだとおもう。
posted by 得鰤日々 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

予感は当たる?

本日はこの冬2回目の忘年会。

諸般の事情で、本日は一次会で切り上げ
バスで帰宅と決めていたが
お疲れモードで、バスでうたた寝。

あと二つ、というところで
不覚にも(?)眠ってしまい、
はっと気が付くと、降りるはずのバス停から
4つ来たところでやっと気が付いて下車。

行きすぎて帰る道すがら
うまく通りかかったタクシーを利用して帰宅。
タクシー料金790円。

まぁ、良しとするか。

以前にも乗り過ごして、その時は2000円超。
実は最悪のケースは、出張先の横浜での乗り過ごし。

最終電車だったので、乗り過ごしの帰路は
当然のごとくタクシー。約5500円。
まぁ、今回はまだ損害軽微。

でも、なんというか、
実は今回もバスの乗り過ごしが不安だった。
不安的中、予感は当たる?
posted by 得鰤日々 at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

お葬式、にて

昨日は、
高校の時の部活の先輩が喪主となったご葬儀(ご尊父)に出席。
個人は長年郵便局で勤められて、勲六等の褒章を頂いた方。

一人の人間としては、大臣にならなくても重役でなくても
あるいは世界的な発明ができなくても
着実に自分の役職を果たすだけで十分に立派な人生だと
改めて思う。

無論、大臣は大臣で、重役は重役で、科学者は科学者で偉いものだ。
ただ、要は適材適所だとおもう。

日本人は「まじめにコツコツ」を主な美徳として
それで実直な生計を成り立たせてきた
というのが高度成長期の一つの幸せをつかむ方程式
であったようにおもう。

それが、段々と「まじめにコツコツ」の適所が無くなってきた。
それはそれで致し方の無い部分もあるだろうが
残念な事ではある。

まじめにコツコツだけでは無理だとしても
それをベースに、国が社会が個人が成長しなくてはウソだと思う。
まじめにコツコツは、言われたことだけをこなす
というイメージもあるが、無論それでは昔からやっていけてない。

職人はまじめにコツコツの代表のような感もあると思うのだが
日本の伝統技能は世界が目を見張る精巧さをもっている。
まじめにコツコツ、努力、工夫を積みかねて来たのである。
大量生産が、まじめにコツコツから、工夫の要素を除外した
ということなのかもしれない。

人は大抵の場合、放っておくとより高度な目標に挑む。
山登りしかり、趣味しかり、ゲームしかりである。

このパワーを上手に活かせる社会にできないものか。
一人一人が人に抜きんでるだけの努力をすれば
その多様性を活かせる社会であれば、経済は必ず成長する。

グローバルスタンダードに乗った経済成長云々の必要性
が言われて久しいが
近年、同時に言われている多様性と、これは逆行する要素がある。
生み出すべき多様性は、一言でいえば「驚き」「感動」だと思う。
個々人が生み出す「驚き」「感動」は
料理の味、音楽、美術、工芸、話術、意欲、意志、
なんでもいい、他人が「驚き」「感動」し、
欲しい、あるいは自分もやってみたいと思えば
そこに必ず「(付加)価値」というものがある。
経済は価値の交換であり、経済成長とは付加価値比率の向上である。

まじめにコツコツをこう活かしたいものだ。
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2011年07月11日

…にささげた人生

バレーに人生を捧げた一生ということで
フランスのローラン・プティ氏の訃報が
BSニュースで紹介されていた。

ある一つの事に取り憑かれたような人生は
当人にとっては幸でもあり、不幸にも成り得る。

やっていることがうまくいって、あるいは評価されて
ますます幅が広がる機会を得る人も居れば
人知れず自分の道を究める人も居れば
極めようとした道で、貧窮に陥る人も居る。

芸術の世界に身を置く人は、
「貧窮を覚悟」というのがある種の一般常識
のようでさえある。

(現代において、それがどれくらい真実かは知らないが)

成功すれば人は誉めそやすだろうが
当人は成功するしないは別として、
それしかない、あるいはそれ抜きには考えられない人生
ということになる。

当人は自分の道を追い求めているだけだが
その人の作品だとか生き様は、
やはり他人にも影響を及ぼす。
影響だけでなく、「福」を及ぼす。
それは眼福だったり、耳福だったり、味福だったり、腹福だったり
様々だ。

ここいらへんが人生の面白いところと言えば面白い。

私は、人として生まれたからには
人しか形成しえない社会というものに何かプラスを与えたい
と強く意識しているが

では実際どんなプラスをこれまで生んだのか
と問われれば忸怩たるものがある。

特に人の事を意識しないで、
自分の道を究めたいと思う人の方が
社会に(勇気を与えたり、興奮をもたらしたり、文化を形成したり)貢献
しているかもしれない。

あらためて、
人に(できるだけ)迷惑を掛けないということが
一番わかりやすい社会貢献の指標かもしれないと思う。

自立して、(人への感謝を忘れず)
自分の一生懸命追い求められることを見つける。
それが大事なんだろうな。

他人がどう評価するか
は副次的な事だ。
posted by 得鰤日々 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月24日

自分らしさ

若い人は、自分らしさをさかんに意識する

それは当然の事だ。

しかし、現代は何でもありなので
逆に自分らしさが見えにくい。

自分らしさは制約があった方が見えやすいのだが
若い人は無意識に制約を嫌う
そこで自分らしさが何かが見えにくくなる

判りやすいところで言えば
学校の科目。
この科目って「枠」があるから
自分の得意・不得意がわかりやすい。

ちなみに
得意もないが不得意もない
というのも
自分らしさだったりするのだが

それはなかなか そうは捉えられないものだろう。

また、不得意・苦手も「自分らしさ」
の一環なのだけど、
若い内はそんなことは認めたくないかもしれない。

自分らしさをどう見るか、どう出すか は
人生をどう考えるかという事と密接に関係あるのだが

ここで言った事などを題材にしての
「哲学」の時間を中学校くらいで設けてやる
という事が

現代の世の中では必要ではないか
と、そんな気がする。
posted by 得鰤日々 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月23日

決まり事、しきたり

昔は社会的な決まり事が沢山あった

家柄、しきたり、年中行事…

封建制度の息苦しさもそこにはあり
低層からはい上がれない、はい上がりにくい
という事もあった。


現代はなんでも、ほぼ自由である。
(金さえ有れば、という側面も無いではないが…)

しかし、一方で伝統の良さは廃れる傾向にある
それは残念な事のように思う。
決まり事ならではの楽しさもあり安定感もある

毎年同じようにやってくるという事が
期待感を作る、生活にリズムを作る
ということもある。

決まり事には「判断停止」という側面もあるが
なんでもありというのは逆に判断不能(比較不能)
という事もあるように思う。

長い目で見たときにある程度の決まり事がないと
社会の安定、個人の幸福にはよくない

そんな気がする。

では、何を残し、何を変えていくのか
その工夫が大切であると思う。

そのあたりの基本的ルールについては
またいつか考えてみたい。
posted by 得鰤日々 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月22日

楽しく暮らすこと

人として生まれたからには
人間にしかできないことの一つとして
なにがしかの社会貢献をしたいとおもうのだが

ある意味、楽しく暮らすことも社会貢献
と言えなくもない。

何かを気に病んだり、
体調を悪くしたりで
他人のご厄介になる
ということを避ける為には
「楽しく暮らす」ということには意味がある。

そのためには
自己満足だろうがなんだろうが
自分なりの目標をもってそれへの達成に努力する
という事が忘れられてはならない。


ここしばらく
どうもなんだか諸事気力の減退を感じるのだけれど
そんななか、このような事を思い至った。
posted by 得鰤日々 at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年11月03日

どうせ死ぬ inochi

inochiはどうせ無くなるのに

何故生まれてくるんだ。


若い時にはそんな事も思ったりするものだ。
自分が恵まれない、と思ったりするとなおさら、
そんなに思うことがある。


しかし、無くなる命だからこそ
生まれてくることに意味がある。

そもそもずう〜っと死なずに生まれると
命は増える一方ということになる。

そんなことでは地球が保たない。

絶える事がなければ、新しく生まれる事も難しい。

「どうせ」と考える所に問題がある。
「どうせ」と言わしめる心には自主性がない

「どうせ」の中身は本当は恐ろしく千変万化
当人の行動がいかようにも人生を豊かにしてくれる。

大体、あまり豊かに有りすぎるものは
人間は粗末にするものだ。

限りのある人生で、ありがたい限りだ。

無論、あまりに短い人生しか過ごせなかった人は
気の毒なのだが…

でもそうやって、バラツキがあることそのものが
生を豊富にしているという側面がある。

全部まとめて引き受けなくっちゃいけない。

すなおにまとめて全部引き受けることができたら
「どうせ」という言葉は出てこないだろうナ。
posted by 得鰤日々 at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年11月01日

東京ラブストーリー

どうやら全国版での放送ではないようだが

「東京ラブストーリー」が再放送されている。
知人のブログで知った。

実はまだ、TVで見たわけではないけれど

便利な世の中になったもので
一部はYOUTUBEで見ることができる。

「東京ラブストーリー」は
小田和正の歌った主題歌からその存在を知っていたが
見たことはなかった。

ある時出張で、朝早く付いた三宮での時間つぶしに
インターネットカフェに入り
たまたま座った席のすぐ側に原作の漫画があった。
それで読み始めたけれど
本来の所用の時間までに読めたのは、
全5巻(だったと思うが)のうち1+1/2程度。

結局その後、出張で機会があるときに通い
全部で3回行って、1年がかりくらいで読んだ覚えがある。

漫画では主人公の永尾完治の視点が、
ドラマではもうひとりの主人公の赤名リカの視点が
それぞれ中心となってストーリーが展開する
ということらしい。

(「東京ラブストーリー」という記事がWikipediaに存在するが、それによる)

漫画では赤名リカはなんとなくトンガッタ感じだが
ドラマの赤名リカはふうわりとたよりない感じに見えた。

鈴木保奈美というキャストの魅力もあったのだろう
ドラマではリカは女性に人気のあるキャラらしい。

当時、まだいろいろがしがらみの多かった女性には
自由な生き方をしているリカが魅力的に映ったのではないか
そんな気もするが

ま、こんなのが目の前にあらわれたら
自分なんかはイチコロで心を持って行かれそう な気もする。

一方で、キケン を感じて
一線を引いた 態度 を取るだろう
とも思う わけだが。

人間の特質として アタマ については
考えること、感じる事があるわけだけど
その「感じる事」の一大要素が恋愛というものになるわけで
まあ色々と考えさせられる事ではある…

最後はツマラン締め(そのつもりはなかったが)になってしまったが

ひとまずブログアップ
posted by 得鰤日々 at 06:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記