2017年01月01日

2017年、年の初めに> 決める ということ

2017年元旦、多くの人から年賀状を頂いたが
こちらはまだ書いていない。

昨年末は楽勝で年内投函できると考え
一応年内には原案作成していたのだが
最後の一押しの確定をしないままずるずると新年となった。

年が明けてみれば、年賀状書くのなんかイヤ(面倒)だなぁ、
と感じるテイタラク。

あれこれ心を探ってみると
どうやら「決める」力が弱いように思う。
決断力の無さ、というよりは、
決める事により他の選択肢を消すのがイヤな様だ。

ため込んだ資料をなかなか思い切って処分できないのも
食品を最後にちょっとだけ残して結局ダメにしてしまったり
ビデオの録画をため込んでしまったり、
少しでも気になる番組は
録画しないでおくという選択ができなかったり

まぁ、こう「…できない」と書き連ねるとネガティブだが
混沌のまま選択肢を残すという事で見えてくるものもあると思う

選択肢をできるだけ残しながらやってきたのは
それなりの覚悟、というか、再確認を繰り返しながら
自分なりのやり方として採用してきた事であり
後悔の対象という事ではない。
改めての、自分の性向の再確認の意味合いだ。

決めないでおくことで、
最終的に決める段階で捨てるものを精査できる
という意味合いもある。

ギリギリまでプロセスを吟味する
というテイストを好んでいるという事だろうか。

活かせるものはすべて活かす、物を大事にする
という昔ながらの価値観のしがらみが抜けない
という事なのかも知れない。

持続する、再生可能な社会を考える上では
こういう生き方も大事なのではないかとも思う。
posted by 得鰤日々 at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記