2012年12月15日

政治と選挙の見直し

明日は久しぶりの国政選挙だが

これまでのところ、街宣車に遭遇したのは3回。
候補者の顔は見たことがない。
公共放送の政見放送を見る機会があったのは5回。
それぞれの政党の主張は10分にも満たない。

新聞は止めたので?、
選挙の公報も入手していない。
(新聞の折り込み以外で入手の方法はある
 のかもしれないが、知られてないと思う。)

これだけ普及しているインターネット
の利用をいつまでしないままでいるのか
その理由がよく理解できないが

インターネットは利用してない、利用できない人々が居る
というような事が公式の理由ではないか
というような気がする。

どうも、行政というのは、「公平」と言うことを
最後尾のランナーに合わせるという方針で臨んでいる
というように思うのだけれど
先頭のランナーを大事にすることなく
(大事にというのは、優遇という事ではない)
世界の競争に打ち勝っていけるのか、と思う。

世界との競争に打ち勝っていくこと無しに
日本の経済は成り立つのだろうか。
日本の経済が不調に終わったままで、
人々の幸福は、幸福でないまでも生活は
確保できるのだろうか。

期日前投票の傾向を見ると、前回の選挙より低いらしい。
それはどうやら、今回の選挙の投票率が
前回より低い事を予見するデータとなるようだ。

投票に行かない理由はいろいろ有るようで
巷ではその事の議論が盛り上がっている
という事実もあるらしい。

1票で何が変わるのか、実感がわかない
というのも一つの理由らしく、
それはそれで分からなくもないが、
では1票しか認められてない今
その1票をも有効にする努力なしで
果たして何が変わるのかと思う。

事実として何も変わらないかも知れないが
変えてやろうという思いが無ければ変わることは無い
とも思う。

変な例えかもしれないが、宝くじは買わないと当たらない。
選挙も投票しないと世の中は変わらない。

それはともかくも、元に戻って
政党や候補者の論点は子細に比較する形で提供されているか
というととてもそうは思えない。

政治がどうこう言う前に、
そもそも選挙のありかたが随分と国民をないがしろにした
やり方であるようにおもう。

国民側も選挙のありかたをあまり不満に思ってない
というような気がするが、どうんなんだろう。

選挙用の公式インターネットサイトくらい
そろそろ作ったらどうなんだろう。

A4pdfで5枚分くらいは個々の候補者に認めるべきで、
政党ならば10枚分くらいは情報提供して欲しい。

また、既に表明したことだけど、
候補者の選択にあわせて、政局のポイント論点への
国民投票も採用してもらいたいものだ。
直接の意見表明ができるならば
投票率の改善にも役立つのではないだろうか。

それぞれの政党は、自分の主張こそが正しくて
他の政党が言うことは全部おかしいような事を言うが
そんなはずもなかろう。

やって欲しいことは、国民の意向をきちんと調べて
政党間でそれをどう実現するかのアイデア競争だ。

そのためには
これだけWebが普及しているのだから
我々一人一人がもっともっとそれぞれのサイトで
意見を述べて
政治家、当局にもっともっと直接の意見を伝える
努力をするべきであるようにも思う。

とにもかくにも、
明日の結果がよりよい日本の実現に
少しでも役に立って欲しいものだとおもう。
posted by 得鰤日々 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

予感は当たる?

本日はこの冬2回目の忘年会。

諸般の事情で、本日は一次会で切り上げ
バスで帰宅と決めていたが
お疲れモードで、バスでうたた寝。

あと二つ、というところで
不覚にも(?)眠ってしまい、
はっと気が付くと、降りるはずのバス停から
4つ来たところでやっと気が付いて下車。

行きすぎて帰る道すがら
うまく通りかかったタクシーを利用して帰宅。
タクシー料金790円。

まぁ、良しとするか。

以前にも乗り過ごして、その時は2000円超。
実は最悪のケースは、出張先の横浜での乗り過ごし。

最終電車だったので、乗り過ごしの帰路は
当然のごとくタクシー。約5500円。
まぁ、今回はまだ損害軽微。

でも、なんというか、
実は今回もバスの乗り過ごしが不安だった。
不安的中、予感は当たる?
posted by 得鰤日々 at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

お葬式、にて

昨日は、
高校の時の部活の先輩が喪主となったご葬儀(ご尊父)に出席。
個人は長年郵便局で勤められて、勲六等の褒章を頂いた方。

一人の人間としては、大臣にならなくても重役でなくても
あるいは世界的な発明ができなくても
着実に自分の役職を果たすだけで十分に立派な人生だと
改めて思う。

無論、大臣は大臣で、重役は重役で、科学者は科学者で偉いものだ。
ただ、要は適材適所だとおもう。

日本人は「まじめにコツコツ」を主な美徳として
それで実直な生計を成り立たせてきた
というのが高度成長期の一つの幸せをつかむ方程式
であったようにおもう。

それが、段々と「まじめにコツコツ」の適所が無くなってきた。
それはそれで致し方の無い部分もあるだろうが
残念な事ではある。

まじめにコツコツだけでは無理だとしても
それをベースに、国が社会が個人が成長しなくてはウソだと思う。
まじめにコツコツは、言われたことだけをこなす
というイメージもあるが、無論それでは昔からやっていけてない。

職人はまじめにコツコツの代表のような感もあると思うのだが
日本の伝統技能は世界が目を見張る精巧さをもっている。
まじめにコツコツ、努力、工夫を積みかねて来たのである。
大量生産が、まじめにコツコツから、工夫の要素を除外した
ということなのかもしれない。

人は大抵の場合、放っておくとより高度な目標に挑む。
山登りしかり、趣味しかり、ゲームしかりである。

このパワーを上手に活かせる社会にできないものか。
一人一人が人に抜きんでるだけの努力をすれば
その多様性を活かせる社会であれば、経済は必ず成長する。

グローバルスタンダードに乗った経済成長云々の必要性
が言われて久しいが
近年、同時に言われている多様性と、これは逆行する要素がある。
生み出すべき多様性は、一言でいえば「驚き」「感動」だと思う。
個々人が生み出す「驚き」「感動」は
料理の味、音楽、美術、工芸、話術、意欲、意志、
なんでもいい、他人が「驚き」「感動」し、
欲しい、あるいは自分もやってみたいと思えば
そこに必ず「(付加)価値」というものがある。
経済は価値の交換であり、経済成長とは付加価値比率の向上である。

まじめにコツコツをこう活かしたいものだ。
posted by 得鰤日々 at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記