2011年06月24日

自分らしさ

若い人は、自分らしさをさかんに意識する

それは当然の事だ。

しかし、現代は何でもありなので
逆に自分らしさが見えにくい。

自分らしさは制約があった方が見えやすいのだが
若い人は無意識に制約を嫌う
そこで自分らしさが何かが見えにくくなる

判りやすいところで言えば
学校の科目。
この科目って「枠」があるから
自分の得意・不得意がわかりやすい。

ちなみに
得意もないが不得意もない
というのも
自分らしさだったりするのだが

それはなかなか そうは捉えられないものだろう。

また、不得意・苦手も「自分らしさ」
の一環なのだけど、
若い内はそんなことは認めたくないかもしれない。

自分らしさをどう見るか、どう出すか は
人生をどう考えるかという事と密接に関係あるのだが

ここで言った事などを題材にしての
「哲学」の時間を中学校くらいで設けてやる
という事が

現代の世の中では必要ではないか
と、そんな気がする。
posted by 得鰤日々 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月23日

決まり事、しきたり

昔は社会的な決まり事が沢山あった

家柄、しきたり、年中行事…

封建制度の息苦しさもそこにはあり
低層からはい上がれない、はい上がりにくい
という事もあった。


現代はなんでも、ほぼ自由である。
(金さえ有れば、という側面も無いではないが…)

しかし、一方で伝統の良さは廃れる傾向にある
それは残念な事のように思う。
決まり事ならではの楽しさもあり安定感もある

毎年同じようにやってくるという事が
期待感を作る、生活にリズムを作る
ということもある。

決まり事には「判断停止」という側面もあるが
なんでもありというのは逆に判断不能(比較不能)
という事もあるように思う。

長い目で見たときにある程度の決まり事がないと
社会の安定、個人の幸福にはよくない

そんな気がする。

では、何を残し、何を変えていくのか
その工夫が大切であると思う。

そのあたりの基本的ルールについては
またいつか考えてみたい。
posted by 得鰤日々 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月22日

楽しく暮らすこと

人として生まれたからには
人間にしかできないことの一つとして
なにがしかの社会貢献をしたいとおもうのだが

ある意味、楽しく暮らすことも社会貢献
と言えなくもない。

何かを気に病んだり、
体調を悪くしたりで
他人のご厄介になる
ということを避ける為には
「楽しく暮らす」ということには意味がある。

そのためには
自己満足だろうがなんだろうが
自分なりの目標をもってそれへの達成に努力する
という事が忘れられてはならない。


ここしばらく
どうもなんだか諸事気力の減退を感じるのだけれど
そんななか、このような事を思い至った。
posted by 得鰤日々 at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記