2010年01月26日

金は天下の回りもの

「金は天下の回りもの」

広辞苑によると、

『金銭は一人の所にとどまってはいない。貧富は固定したものではない。
「金は天下の回り持ち」とも。』

とある。

個人的には、
お金は使ってもいつか返ってくる。
使いどころを間違えるな。
と理解していた。

具体的にいうと、
友達付き合いにゼニ惜しみをするな。
勉強の投資に金を惜しむな。
というような理解をしていた。

さて、今日、ふと思ったのだが、

我々の貯金。
これは表向きは回ってないが、
銀行などに預けているとそれが投資資金に使われて
実は「天下の回りもの」としての役割を果たしていた。

それが、昨今、「投資先」とやらにこまり

(つまりは、簡単にゼニもうけができそうな
 投資先という「夢の存在(?)」がなくなり、
 夢の替わりに必要な知恵もなく…)

金が回らなくなったのがこの不況のようである。

いま民主党のいっている「個人に金を回す」というのは、
投資で回らないのなら「個人消費」という形で回すなら
経済はもっと好転するという事だろう。

そんなに簡単なモノなのか、とはちと思うが
理屈の上からは合っているようにも思う。

今話題の鳩山首相家の金の回り方からすればまことに知れたものだが
自分の日々の暮らしからみればそれなりにまとまった額ではある、
親の残してくれたものに接して、そう思った次第ではある。

質素を生き様としていたのはわかるが
もっと自分のために使ってくれればよかったのに…。
posted by 得鰤日々 at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月22日

父の生き方

先日、父が他界し
彼の人生についていろいろと考えた。

仕事の上からは別に大した業績を上げているわけでもないけれど
生きること、またその一部である死ぬ事 をしっかりと見つめて
人生の本質とは何かを大事にした生き方だったと思う。

母を父が30代の後半の時に亡くしたが
ずっと再婚せずに我々兄弟を育ててきた。
(祖母の貢献もあったが)

形にはこだわらず
贅沢はちっともせず、
モノを大事に使い、
他人にはやさしく、
ただし、自分の事に関しては
自分の一存を押し通した。

人生の難事にも、自らの死にも
決してうろたえることがなかった。

その人の息子として
与えられた人生をしっかりと生きていきたい
そう、改めて思う。
posted by 得鰤日々 at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月03日

万葉集

ドナルド・キーンさんが戦後、
戦地で日本人捕虜の所持品調べに係わったとき
本のなかで一番多かったのは万葉集だったそうな。

また、戦地に送られる兵士が
たった1冊所持をゆるされたときに持っていく本として
一番多かった選択が万葉集だったそうで、
これは検閲のあるなか、
万葉の何番と指定することで心を代弁したということらしい。

どちらも知らなかった事実だけれど
「人の人たるはかくのごとし」と思うと同時に
日本文化のなかなかの奥深さにあらてめて感じ入った。
posted by 得鰤日々 at 14:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月02日

感動の対価

感動の対価という事を考えた
これはサービス業の原点という意味としてである。

まず、例を挙げてみる

大道芸人がなにか芸をしていたとする。

つまらない芸にはお金を払おうとはおもわないが
自分が感動すれば、
お金を払いたいという気持ち
は自発的に心に内発し、内包されるように思う。

だからそこで芸人が帽子でも差し出せば
それに触発されて包まれていた自分の心の包みがほどけ
帽子にコインなり札なりを投げ入れることになる。

そこには、相手の芸と相手を認める事と、
相手を認めている自分(認める能力のある満足感を含めて)
を認める事

また
相手への評価として対価を投じる事によって
自分の感動の再確認をする事
が含まれているように思う。

ひろく考えると
「サービス」が有価であり得ること
つまり、サービス業で食えるという事
はここに原点があるのではないかと思う。
posted by 得鰤日々 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月01日

托鉢

入院中の父の見舞いをしにいったら、

病院の近くに托鉢僧がいましたので
些少の喜捨をしてきました。


ネットで見ると、
托鉢を詐欺ではないかと見る人や
実際にあやしい事例なども出ていますが

それはそれで現実なのでしょうね。

でも、
ダマサレタとしてもそれでいいのではないでしょうか。
「喜捨」とは字の通りであって、
どう使われようといいはずなのです。
誰かの役に立てば。

それで自分の生活がめちゃめちゃになるような額なら別ですが、

金は天下の回り物といいます。
循環してこそのお金でしょう。
そもそもそのための物ですからね。お金は。
posted by 得鰤日々 at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

年賀状 ならびに ご挨拶

新年明けましておめでとうございます。

2010年は年賀状がえらく早く届きました。

8時頃です。
郵便局も民営化だ、民営化取消だ… とかで
気合いが入っているのでしょうか?

さて、ここのところ年賀状を書き始めるのが年末押し詰まってからで
年を越してから書くはめになるものも相当数に登っています。

(まだ、お届けしていない皆さん、ごめんなさい。)

まだお送りしていない人からの年賀状が届くと
なにやら罪悪感のようなものがじわっと湧いてきて
どうにも居心地が悪いですね。
ま、実から出たサビですが… (苦笑)

さて、
いただいた年賀状のなかには、
こちらの名前がまちがって記載されているものがあり、
こういうのは一度間違うと修正されにくいのだろうなと思う一方
(間違いを指摘する機会がないですから。
 わざわざ間違ってますと連絡するのも居心地悪いし)

こちらも間違えてないだろうかと、気の引き締まる思いです。

さてさて、このブログも

「とにもかくにも毎日ブログ」がパタリと書き込みが続かなくなり
第二弾として始めたモノの
書いたのは2つの記事だけで9月からやはり停止中
というありさまでした。

年があらたまったのと
年賀状にこのブログのアドレスを紹介したこととで
再開の良い機会ととらえた次第です。

毎日とはいかないだろうと思いますが
読んで何がしかの気づきがあるような内容で
できるだけ頻繁に更新していきたいと思います。

よろしくお願いします。
posted by 得鰤日々 at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記